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ユーカリ祭りの歴史

写真で見る「ユーカリ祭り」の歴史

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「ユーカリ祭り」開催時の写真を、ユーカリが丘の歴史写真閲覧サービス「ユーカリが丘フォトミュージアム」で公開しています。

ユーカリ祭り|ユーカリが丘フォトミュージアム

 

 

 

ユーカリ祭りの歴史~タウン情報紙「わがまち」連載記事より~

ユーカリが丘五丁目 黒川 勝喜さんによる、第13号(2000年1月)~第16号(2001年1月)に連載された記事をご紹介いたします。

 

ユーカリ祭りの歴史(「わがまち」第13号 2000年1月発行)

waga13-p01早いものでユーカリまつりも昨年で第17回を迎えたわけですが、ユーカリが丘の文化・歴史に大きな役割を果たしてきたユーカリまつりの創成期を関係者の方にお願いしてまとめてみようということになりました。

歴史をひもとく第一歩として、当時のスタッフである長老を訪問し、相談したところユーカリが丘一丁目の自治会集会所の保管庫に、創成期の議事録や写真などが保管されているお話を伺い、早速現ユーカリが丘一丁目自治会長に立ち会っていただき当時の資料を拝見させていただきました。

第1回開催当時のユーカリが丘・宮ノ台地区の戸数は、現在の4分の1である1,060戸と記録されていたり開催までの準備や運営に係わるスタッフの方々のご苦労が手にとるように分かり、このような歴史をふまえ今日があることを痛感いたしました。

少子化、高齢化社会等、時代の変革とともに、ますます地域社会におけるコミュニティの重要性が論議されている昨今、ユーカリまつりの果たす役割は大きいものといえます。17回の歴史をふまえ、現在のユーカリまつりがあるわけですが、創成期の原点を見つめながら、また時代の変

今号は、当時の写真のみにとどめておりますが、ユーカリまつりの創成期を中心に、開催に至ったまでの背景・目的、ご苦労談等を、当時携わっていた関係者の方に現在執筆をお願いしておりますので、是非次号をお楽しみにお待ち下さい。

 

まつりのおいたち(「わがまち」第14号 2000年5月発行)

waga14-p04昭和58年の初夏、既に自治会等も住民組織が結成されていたユーカリが丘一丁目、二丁目の自治会役員間で、ニュータウン・ユーカリが丘地域のコミュニティづくりの一環で「新たなふるさとづくりにつながる夏祭り」の開催プランが持ち上がり、ユーカリが丘五丁目に共催の呼び掛けを受け参加に同意したことから、私のユーカリまつりへの関わりが以来12年間続くキッカケとなりました。

当時。ユーカリが丘五丁目の地名は佐倉市小竹で、昭和62年の住居表示法にもとづく町名変更まで続きました。また、昭和57年1月から入居が始まった五番町ハイツには、「ユーカリまつりの呼掛け」を受けた時点では管理組合しかなく、この呼掛けが呼び水となり、急遽1ヶ月間で自治会結成にこぎつけ、自治会として8月5日から6日の「第1回ユーカリまつり」に参加した経緯があります。

 

第1回ユーカリ祭りの概要

主催者・ユーカリが丘の3自治会(ユーカリが丘一・二・五丁目)約1,000世帯
開催地・小竹小学校校庭
開催日・昭和58年8月1日(土)から2日(日)
催事・盆踊り(夜店はユーカリが丘一丁目子供会・五丁目自治会の2店のみ)
開催費・約150万円

6月から始まった3自治会の役員による実行委員会のもとで、新たなまちづくりのための「ユーカリまつり」のソフトウエアが各々の思い入れを集約して形づくられ、諸準備が分担してすすめられました。

特にユーカリまつりは、当初からニュータウンを「ふるさと」として育つ子供達に視点を置いていたことから、子供みこしを各町内で出そう、開催日は夏休みに入った後でかつ田舎へ帰省する前の土日の2日間でしようなどなど、現在までのユーカリまつりの骨格が当時決まりました。

会場は、開校3年目の小竹小学校の校庭で、真夏の薄暮から開催された「第1回ユーカリまつり」は、今思うとどこかしこにある小じんまりとした「盆踊りを中心とした夏祭り」で、ユーカリが丘第一集会所、第二集会所、五番町ハイツ集会所にいまも白黒写真で櫓の回りに集う人々が写されています。

なお、盆踊りを中心とした夏祭りの主役である踊り手と太鼓及び太鼓の打ち手の全てが、小竹青年団の男女に委ねられ、住民はその回りで輪をつくる感じでしたが、当時役員として参加した私には、「第一期のユーカリのまちづくり」のスタートとして意義深く写った記憶があります。

また、冒頭で紹介したように、ユーカリが丘五丁目自治会は子供たちにまつりの楽しさをプレゼントしようと、夜店販売(昔なつかしいお面、おもちゃ、金魚すくい、メンコなど)を企画し出店しましたが、ユーカリが丘一丁目子供会からも出店があり、住民が主体的に関わった場づくりとなり、現在の30店舗に及ぶ夜店へと発展した経緯があります。

第1回から2回まで続いた企画に、夏祭り会場に来場した子供達に「駄菓子を詰め込んだ祝袋」の配品をしましたが、企画サイドの祭りの思いと現代っ子の感覚のミスマッチで相当数余り、善意銀行に寄付することになったなどの思い出があります。

 

「街づくり」の実践(「わがまち」第15号 2000年9月発行)

waga15-p01前回は、まつりの生い立ち、小竹小学校グラウンドでの第1回・第2回のユーカリまつりの概要やエピソードを中心にまとめました。

今回は、昭和60年春に完成したばかりのユーカリが丘南公園に会場を移して開催した第3回以降の「ユーカリまつり」を「街づくり」の視点から綴ってみました。

西暦2000年、今夏に開かれた第18回ユーカリまつりの大盛況ぶりを見るにつけ、長い継続的な実践としての「新たな街づくりのためのユーカリまつり」のコンセプトが会場に集まった大勢の子供たちの心にも、優しさや街への愛情を育む贈り物になっているように感じたのは私だけではなかったと思います。

18年の歴史をもつ「ユーカリまつり」が市内随一の夏祭りへと発展した背景・要因を私なりにまとめてみると、次の3点に要約されるのかなと思います。

①市内有数の大規模公園であるユーカリが丘南公園のキャパシティと、地区の中心地でもある会場が使用できたこと。(地の利)

②ユーカリが丘という新しい街を、本当に人々が集まって住む、好ましい「まち」にしたいという思いで協力してきた住民の「街づくり」を継続する力があったこと。(人の和)

③1980年ごろから各地で語られるようになった「むらおこし」「街づくり」の時代の流れの中で、ユーカリが丘でもこうした住民の発想と主導による「街づくり」の実践が行われたこと。(時の勢い)

こうした時代背景、市民として自分の住む街への関心、ロマン溢れる思い入れ等々のもとで誕生した「ユーカリまつり」の原点は、優しい心を持った子供らが、立派な市民として育つことにつながる「街づくり」であったし、われわれの日常環境をよりよいものにしていく行動を実践していく場でもあったように思います。

 

「ユーカリ祭りの裏ばなし」

①「夜店利用券」のルーツは、前号でも触れた「駄菓子を詰め込んだ祝袋」が現代っ子にあまりにも不評だったことから、代替案として第3回から採用され、以来継続している「優れもののシステム」。

②ユーカリが丘自治会協議会を結成する経緯は、昭和60年頃の自治会の課題が「住み良い街づくり」にあり、コミュニティセンターの建設要望や駅前大型商業施設の早期建設と誘致などの地域開発に関わる陳情活動を共同して行動していたこと。また、共同事業である「ユーカリまつり」の運営組織が必要となったことから、4自治会で設立。(ユーカリが丘一・二・五丁目と宮ノ台第二)した住民組織。

③ユーカリまつり実行委員会の協働システム化が図られ、今日の原形が出来上がって、以後整備されました。

④新しい自由な人々の結びと出会いの場をつくる、子供たちが喜ぶ「ふるさと」づくりなどの目的のもと、第3回から第7回ごろまでは、子供みこし、エアロビクス、井野中ブラスバンド部の演奏、ハワイアン・バンド演奏など、毎年ユニークな企画を盛り込み、新たなコミュニティを求めつづけました。

⑤小竹青年団の男女20数名の協力で開催できた第1回。第2回からは自主運営を目標に「太鼓愛好会づくり、盆踊りの踊り手の各町会での育成の仕組みづくり、練習会の世話人、資金助成、太鼓の購入などの住民主導に向けた次の世代に繋げる」仕組みづくりが始まったのも第2回からです。

「街づくり」に終わりはありませんが、「街づくり」は継続が力です。小さなことでも実践が続けば、力になって後世への贈り物となり、後の時代に他にも波及していくでしょう。

また、市民自治を進める自治体の動きも生まれつつあり、「地方分権」の流れもあり、ますます「街づくり」が求められている中で、「ユーカリまつり」がユーカリの街への愛情や誇りや勇気を育て、最もすばらしい次代への「贈り物」「フェスティバル」として、この街の継続する力の象徴であり続けるだろうと思います。

 

ユーカリ祭りの歴史 4(「わがまち」第16号 2001年1月発行)

waga16-p04ユーカリまつりの歴史も4号目ということで、話の種もつきつつありますが、「街づくりのソフトウェアとしてのユーカリまつり」との視点で前号までに書かなかった企画・運営面での変遷を中心にまとめてみました。

 

(1)変わらぬ住民主体の街づくり・ふるさとづくりのコンセプト

①18年間、開催の主体は住民組織である自治会が実行委員会を組織し、企画・運営しています。また、この間の開催費の大半は住民の負担ですが、ディベロッパーである山万や商店会からも経費支援という形で「ユーカリまつり」の成長発展に協力していただいています。

②5月から約3ヵ月間の準備期間中、公園使用許可の申請に始まり、設営、警備、清掃、夜店、接待、渉外、会計、総務などのさまざまな任務を各自治会が分担し、7月下旬を中心とした土・日の2日間開催の「ユーカリまつり」実施に向けた協働システムの基本も変わっていません。

③ユーカリまつりの最大の特色は、他の夏祭りと比べ、圧倒的に若い層(小学生から高校・大学生まで)が集う場となっているところにあります。これは、子供たちを育む「新しいふるさとづくり」の思いと、全国各地から集まっているニュータウン住民の融和を図る「街づくりのソフトウェアとしてのユーカリまつり」が、18年間継続する中で機能したものと思われます。

(2)18年間で変化した企画と運営の数々

①当初から15年間、案内チラシ(夜店利用券付き)とともに全戸配布された団扇と豆しぼりは、祭りの季節を実感させる小道具として機能したように思います。

②ユーカリが丘の中央商店会からも、この間に提灯やテントの寄贈、夜店出店などで側面から支援を受けてきました。先般の「ズームイン!!商店街ドミノ対決」に見られるように、街の元気と活力の中心に欠かせない存在が商店会であることを再認識しました。

③少子化の波で、第2~第5回ごろまで実施されていた「子供みこし」が街から消えたのは淋しい限りですが、昨今の子供達が意欲的に取り組め、かつ元気の出る「新企画」が望まれます。

④当初の4~5年間だったように思いますが、揃いの浴衣(生地)を購入斡旋し、男女多数が会場に集った時期がありましたが、近年とみに、小中学生の女の子に浴衣姿での来場が目につくようになったことに、子供達がまつりを楽しい思いで迎えてくれている一端を感じます。

⑤井野の森にコンテナの仮設倉庫を設け、資材、備品を格納した時期がありましたが、10年前に公園駅の高架下に山万から土地を借り倉庫を設置してから、備品等の管理がスムースにできるようになったように感じます。

⑥櫓の規模も、太鼓の打ち手2~3人しか登れなかった木製のものから、最近はリースによる鉄パイプ製で踊り手を含め40数名が登れる大規模なものとなったことで、さらに盛大さが増したように感じられます。