1977年 ユーカリが丘ニュータウン 起工式

1977年(昭和52年)、当時は「志津ユーカリが丘ニュータウン」と呼ばれていた「ユーカリが丘」の起工式が行われ、ユーカリが丘の本格的な開発がスタートしました。

 

ユーカリが丘の開発が始まる前、この地域の約51%は山林でした。

ユーカリが丘の開発予定区域は、東京都心から約38キロ、京葉工業地帯に隣接する千葉市から15キロ、印旛沼の南西約5キロの緑豊かな丘陵地で形成されていました。

また、地盤は、深いところから順に、第4紀更新世の成田層群、関東ローム層、第4紀最新世の沖積層、洪積層で構成され、標高6メートルから28メートルのなだらかな丘陵地が広がる安定したものでした。

1976年(昭和51年)に発行された「志津ユーカリが丘ニュータウン開発 事業計画書」のなかで、ユーカリが丘計画の意義について、

「(前略)本計画はこの「住居都市」に対して安全・健康、かつ、快適で豊かな生活ができる都市環境の創出、計画区域内外の地形、接続地域とのコミュニティ、快適な住環境と公害問題、そして秩序ある地域社会という諸問題を如何に調和させるかにその意義がある。」

と記されていました。

豊かな自然と印旛沼の醸しだす景色、安定した地盤が、ユーカリが丘がこの地に誕生した「決め手」と言っても過言ではないかもしれません。